英語が現在共通語化しているらしいが

それは資本主義と一緒に来ているのだ
そこがちょっと気に入らないのである
資本主義からまったく独立している英語だったら大好きになれるかもしれない
そういう意味からすると、古代ヨーロッパにおけるラテン語はすばらしかったのかもしれぬ
生活から離れた高尚な語というのがやはり必要なのである
現代日本においては、専門用語(jargon)というのがそれにあたるのかもしれんが、それは高尚でもなんでもなく、ただ専門的だというだけであるようだ
その証拠に、どんな卑劣漢でも専門家にはなりうる