2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧
僕が僕の立場で文学を突き詰めようとしたら 死への分岐が多すぎるのである したがって僕は もう死んだものとして取り扱わられねばならないそうだ しかしそうなると 僕が能らしきものをパクったように思われるのである そうではなくて 偶然のコインシデントな…
キャットウォークを歩んでいたつもりが ぼくはいつのまにか もうるになっていたのである
「ある」で統一する 「ある」程度で判断する 大なり小なり「ある」ことは「ある」 「かもーない」の何が気に入らないかというと、懐疑しつつも肯定するからである これはあらゆる中間的搾取を可能にする思考形態なのである 懐疑なら徹底して懐疑しなければな…
「かも」、は必ず「ーない」、になだれこむのであって、 「かもーる」、にはならない かもによってカモられるのである 思惟におけるカモフラージュにおいて「かもーない」が用いられることが多いので、思惟そのものがすぐに立ちゆかなくなることがほとんどで…
ぼくは詩神をなだれ込ませて 詩の雨あられを降らすこともできようが それをやることでいのちは削られるのであり いまいち詩神をいぶかしんでもいるのである そこでいまは 小出しにするでもなく もったいぶるでもなく ただかき混ぜているのである スタアアッ…
葉山嘉樹の延長線上にあるものを考えないといけない 発展させたらどうなっていたか 目的のための手段としての文学は駄目だというのが通説だが 市場に出すための文学はどうなのだと思う 市場に出さないにしても 特殊市場に出しているわけだろうし どうにもこ…
市場の正しさっていうのは 現状の正しさであって 実存の正しさであって 市場は正しさの仲裁者であって ひとことでいえば 市場は全員の金を参加させているわけである
信頼を査定評価するのが市場なのであり どうしようもないのである 毒を体に回して慣れるしか助かる道はない あるいは特殊市場に逃げこむかである しかしおそろしいのは 文学は逃げ込めないところに行かないといけないのであり だったら死のほうがましなので…
女が男を非難することは日本人には受ける。しかし本質的非難は受けない。幼稚な非難だけが許容される。