2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ゆったり

ゆったりした中年の体躯を 用いるでもなし 棄てるでもなし

実は日本は

実は日本はむつかしいのかもしれん なぜなら 小さいところに色々たてこんでいたり あれやこれやの思惑が詰め込まれていたりするからである すっきり日本がわかったと思って膝を叩いた瞬間 死神の鎌が頸にぴったりついていると思ったほうがよい のかもしれない

日本には死の神がいないのでは

黄泉の国はあるが いまいち死の神というとピンと来ない 死のことが不可知になっているのでは 死が原理上アポーリアになっているのかもしれん となると飛びつくのは生のほうであり 産まれる作用のところに比重がいってもおかしくはない

カジョール

ぼくは亡霊の声にカジョールされそうになったが いまいち聞き取りにくかったので 意味を判ぜず かろうじてたすかったようである ところがたすかったとはいえ みじめな暮らしが立ちはだかっているのもまた確かであるので 次のカジョールに耳をすませたいので…

苦しみと共感と伝達

苦しみということを考えるときに 共感不能と伝達不能ということが不可欠の条件であるようにも思える つまりは 共感され伝達される苦しみは 飼いならされた商品性を持つ いきおい商売に関わった人びとは それを認めようとしないし 商品にケチを付けられたこと…

このふたつにひとつである

嘘吐き部落か そうでないか

麻痺と鈍感化

性交や 仕事や 呼吸や なんにしても 麻痺しつつやり 鈍感に行わねばならない 一連の行動を包んでいるのは 成熟という幻想である 成熟であるとしても 反動的成熟なのであって 保守にすら一般民は至ることがない

時間軸について

芋づる式時間軸

苦しみを取り戻す

苦しみを網羅せねばならぬ 乱立する病院から苦しみを取り返さねばならぬ

文学と放棄

文学というのが あらゆるものの中で 最も放棄しやすいのである しかも 文学を拾おうとする人は 挟持を持ってそれを行うことができぬ

どこかで文学をやめないといけない

最長で死ぬまでであり 最短でも死ぬまでである

死を国家の名のもとに一元化できるか

こういう問題である 昔のような戸籍管理が不可能になったから、国家は死を管理するためのパフォーマンスとして靖国参拝を行っている可能性もある こういう側面は今まで気が付かなかった だいたいにおいて、政治家の行動は一挙両得となったときに急に不可解な…

わが純粋

ぼくはわが純粋さに挑戦し 生涯をかけて汚しきろうと思っていたのだが それを跳ねのけるところがある われしらず とんでもない純粋さを秘めているところがあるのであって この自らの純粋さとの格闘によって ぼくは外部に出る契機を失っているとも言える

作家として生涯全うすることは難しい

太平洋戦争をまたいだ作家は誰も筋を通せなかった 太平洋戦争でいちど死んだも同じだったのである そう考えると、高村光太郎が田舎に引っ込んだのは反省したということではなく、死んだはずの生を拾ったのだからそれにふさわしい土地を探したというとらえか…

体制とロバスト

体制ということを考える時、もっとロバストということをキーワードとして考えたほうがいい 体制は二段構え、三段構えなのである いっぽう反体制は紙一枚であることが多い

「チックと海」(第ニ回)

つぎに僕はにおいについて考えたのである。においというものはにおい物質があって、その物質が鼻に付着した時に感ずるものらしい。ならばにおいを感ずるには漂うべき大気が必要ということになる。大気なくしてにおいなし。人間的地平、これはおよそ地上2メ…

下克下

どうやらあれだけじゃないのである

従軍慰安婦について責められているだけではない 日本が女性に対して行う一連の仕打ちに対して全体的に非難が起こっているわけである これを見間違うといけない ところでうまくいっている女性は自分が成功したと思いたいのであるから 女性解放運動などにしん…

死者のポリフォニー

能で不思議なことその1:なぜ亡霊たちは

大合唱せずにひとりで現れることが多いのか 代表者なのか、それともはみだした人なのか 「死人たちの一揆」というようなことはありえないというのが能だろうか

「チックと海」(第一回)

その日は海が荒れていたので、僕は起きてすぐ海の近くまで行ったのである。昨日は恋人たちや家族たちでにぎわっていた海辺は木々のかけらやなんらかの粒やわかめの死骸などでてんやわんやになっていた。そして砂浜で踊ることのできる肉体は僕のものだけであ…