「チックと海」(第一回)

 その日は海が荒れていたので、僕は起きてすぐ海の近くまで行ったのである。昨日は恋人たちや家族たちでにぎわっていた海辺は木々のかけらやなんらかの粒やわかめの死骸などでてんやわんやになっていた。そして砂浜で踊ることのできる肉体は僕のものだけであった。そこで僕は昔のように彼女を呼ぼうとしたが、すんでのところでやめておいた。なぜなら彼女は帰属が違うようになったのである。今や彼女は別のもっといいところに落ち着いて暮らしているらしい。それはそうである。僕のところはいつも荒波が押し寄せたり砂糖の代わりに塩を舐めないといけなくなったりする。つまりは僕は不幸の妖精さんなのであろう。これと関わると不幸になり、関わらないと関わるよりはましである。だがそんなふうになる僕とは一体どんな悪ふざけなのだろうか。僕は時々考えてしまう。言ってみれば契機なき契機であろうか。
 今朝の嵐は、台風というほどでもない通常のバナルな低気圧のしわざであり、なんら生命の危険があるわけでもないので、身軽になった僕は海辺まで歩いていくことにしたのである。道中くらげやらのしなびた残骸や、口を半開きにしてこっそり死んでいる貝などが打ち上がっているのを見て、僕は海の攪拌作用について考えた。海の中ではいろんなうねりなり動きがあって、しまいにはかなり低い確率だが浜に打ち上げられる。そこにエネルギーが介在しないものはないのである。ほとんどのものはエネルギーのいたずらによってうなぞこの冥いところに沈み込んで嵌り込んでおしまいである。そのような巨大な海底堆積物に囲まれている国とはなんだろうか。僕は国になって想像してみたが、いつも下から見られるような気がして気分はよろしくなかった。何しろ目がいくつあるかわからぬ。あっちはうなぞこで真っくらやみなのであるから。