文学ギモン

そもそも文学は・・・文学と見事さ

そもそも文学は 見事さを競うものなのだろうか? 僕にはそうは思えない 文学はいまや いかに迎合されるかを競うものであるように思える 文壇村は・・・ 前ほど輝いてはいない ひっそりとしていて やや閑散とした にぎやかではない場所なのであろう そこには…

自殺した作家の損得勘定

どうやら死んだほうがいいことも多いことは確実なのである 鋭敏な作家や詩人にとって 生きて空気に触れることですら 致命的なのであって かれらには命はあってないようなものなのである しかし僕は変に思うのだが 自殺した作家なり詩人に うまいことシンパシ…

フーコーと権力批判とトランスジェンダー

このみっつは不可分なのだろうか 僕はどうも幸徳秋水や大杉栄はトランスジェンダーだったのではないかとここ数年考えている かれらはだからこそ危険だったのであろう 他には北一輝もそうだったのではないかと疑われる こんなことは一流の文学研究者ならとっ…

僕の漱石への不満点がはっきりした

僕はいつも漱石を読んで、しばしばあれっと思うのである それが今日原因がはっきりした 漱石の作品は、論理や筋において展開がすむーすにいきすぎているのである そこがどうも気に入らない 人間が人間ではない どこかあつらえたようなところがある 巧妙に隠…

漱石文学が以降の人間を規定したところはある

どう考えても、漱石文学に出てくる以上の人間が出てこないとだめなのに、それ以降漱石文学に出てくる以下の人間しか出てこないように規定されている 枷がはめられたというようにも思える おそらく漱石には自覚がない ところがそこにめざとく気づく人もいる …

漱石以外が駄目すぎたということもある

ひとりに負担がかかりすぎた

やはり日本の女流文学は弱い

SさんUさんがいるじゃないかと君らは言うかもしれない うーん・・・ 僕は彼女たちだけではまだ足りないと思う 他に知性派や哲学派がいないと駄目だと思う いま、知性のある女性なら官僚か弁護士にでもなるのだろうか 確かに女流はひどいことになりやすくは…

独立系の純朴な文学研究者が少なすぎる?

独立系といいながらも先行研究にすがって、すこしでも学者に近づきたいなあと思う人が多いのではないか それよりむしろ学者からの対蹠点になるようになったほうがいいのかもしれん 日本ではもっと文学に様々な角度から光が当たる必要がある 日本における文学…

文学研究というものが連綿と受け継がれるものであって

手でそうっとリレーしていかないといけないものだとしたら、研究はこわれものということになる どこから突かれてもびくともしないのが研究ではないのか? 少なくとも自然科学研究ではそうである

全身全霊を込めた読みとは何か

ふつう読む技術は洗練されていく 読めば読むほど読むことが上手になる 読むことが上手な人が全身全霊を込めて読む本は、難しい本のはずである ところが僕は、難しくもない本をあれこれ穿ったりひっくり返したり字の来歴を考えこんだりして必死に読むことがあ…

本をたくさん読むということ

それが猟色家にも思えるのである つまりは読みがすんなりいきすぎている 研究者ならそれでよいだろうが、芸術家がたくさん読んでいいものかどうか・・・ もっとも読まなすぎるのは最もダメである

日本語はどうなっているのか

日本語が定立していて何の問題もなく書き連ねられるようになっているのだろうか? 少なくとも表面上はそうなっていることになっているが・・・

日本の文学研究には暴論が多い?

ところがそれらがなぜ暴論と言われないのかというと、外国ではその手法で正論が導かれたからである では日本的手法で日本を研究したらどうなるかというと、魑魅魍魎が噴き出してきて大変なことになりそうである ということは、構造上生得の鎧をまとっている…

地方文学とは何か?

世界における地方文学というと、僕はアメリカ南部文学くらいしか思い浮かばないのである イギリス田園文学?というようなものは、地方文学というより田園文学なのである 広い意味で自然主義文学というのも、地方というくくりを通り越して自然という串を通し…

たとえばアルゼンチン文学というと

アルゼンチン文学というとそれだけで地方文学たりえる 国家間の序列からいってそうなるのである 支配的国家になりえないということから、世界は寛容な地方を見る目でかれらの文学を見ることになる 日本の位置づけはむずかしい 新奇さを見せればいいのか、伝…

身体障害者を用いて物語に強度を出す

「パラーシカという肥っちょの痘痕づらの洗濯娘と、アクーリカという片眼の牛飼い女とが、或る日のこと申し合わせて、手に手をとって母の足もとに跪き、飛んだことをしましたと詫び入りながら、彼女たちの初心につけ込んで誘惑した先生モッスーのことを、泣…

なんで障害者が昔の文学作品にしばしば出てくるか?

おそらく、一般の人間は一生かかっても障害者を見ることがなかったからであろう お金に余裕がない村や町では障害者はすぐ間引かれるだろうし 障害者を見るためには見世物小屋にでも行くしかなく、誰にとってもはじめて見る障害者は衝撃をもたらすものだった…

全体小説

いわゆるホリスティックな態度からくる小説と考えて良いのか? そのホリスティックというのが、部分の自立を理解するのかそれとも、全体を構造把握するのか。 バルザックの小説は全体小説というのはまちがいなかろう。 これは構造からせりあがるものを明らか…

全体小説を可能にするための串

野間宏がやったことは、差別による世界理解なのであり、それはひとつの全体小説実現のための串なのだが、じゃあその差別が正しく認識されているかというと、それも怪しい 奇妙奇天烈複雑怪奇なのが差別なのである 作家がはっきりわかったと言った時にはもう…

読者を大食らいと考えるか少食と考えるか

いわゆるグラトニイの問題がある 読者というものが食らいつく性悪なものたちと考えれば、あまり与えすぎてはいけない だが問題は与える与えないという立場自体であり、そこは役割がわかれているからそうなっているのだが、ではいつからわかれたのかというこ…

能楽の成功の鍵は過去の文学上のキートピックをさらったところにある?

いわゆる総合をやったのである この総合は学術的ではなくむしろ職人的総合であろう こういうことがありましたよねご存じですよね、という凄みがあるのである 学者は素人にご存知かどうか聞いたりはしない ひとつの権威主義ではある なぜなら完全に創作すると…

日本語単独では破壊力を持ち得ないから

だから外国文学なり外国語精神を導入してかろうじて破壊力を持ち得たとも言いうる 日本語単独はどうにも小説ができないのである 小説を実現させるための基礎がないのである

全体に対する理解

これが全体か、これで全体か どちらもできないとだめであろう 目を細めながら目を開かなければいけない 人間にはどうしても要素主義が楽であろう ホリズムというのが神様的な理解である ギリシャにおける哲人が理想とした理解形式なのであろう

古今集について

どうも日本人は編集がとても苦手である にもかかわらず古今集はできた ならばこれは日本人離れしているといっていいだろう 見方を変えれば、日本人から離れないと総合的文芸はできないということだろう そうすると仏文や独文や中文を礎にすれば小説は書きや…

文学というものがいったい何をどうすればどうなるのか

その力学というか 原理がわからないのである 僕はあまりにわからないので いったん文学と距離を取ったのである なので まっしぐらに行ったらどうなったかとか 臆病だっただろうかとか そのようなことは問題にならない とにかく少しでも分かるまでは一歩も動…

日本でグレイスといったとき

日本でグレイスといったとき どこの誰の神のグレイスか まったく特定しづらいのである 日本の神のむずかしさは 特定のむずかしさではないだろうか 抽象概念を統括するような神が欧米にいるとしたら 日本にいる神は事象を事象たらしめないようなはたらきをし…

読者と無限

読者は無限に生成されるのだろうか

ドン・キホーテが風車に挑んだとなっているが

これは、風車を巨人と勘違いして戦いを挑んだのだが、 第三者的に見ると、インフラストラクチャを破壊しようとしたということになる ここになんらかの意味があるとみてよかろう

文学を突き詰めようとしたら

僕が僕の立場で文学を突き詰めようとしたら 死への分岐が多すぎるのである したがって僕は もう死んだものとして取り扱わられねばならないそうだ しかしそうなると 僕が能らしきものをパクったように思われるのである そうではなくて 偶然のコインシデントな…

葉山嘉樹

葉山嘉樹の延長線上にあるものを考えないといけない 発展させたらどうなっていたか 目的のための手段としての文学は駄目だというのが通説だが 市場に出すための文学はどうなのだと思う 市場に出さないにしても 特殊市場に出しているわけだろうし どうにもこ…