全体小説を可能にするための串

野間宏がやったことは、差別による世界理解なのであり、それはひとつの全体小説実現のための串なのだが、じゃあその差別が正しく認識されているかというと、それも怪しい
奇妙奇天烈複雑怪奇なのが差別なのである
作家がはっきりわかったと言った時にはもう足をすくわれている可能性が高い
では世界の要素が団子かというと、実はそれは団子であろう
読者に供するための団子と考えたほうがよい
あるいは、もっと高尚な相手に奉納するための高級団子である