読者を大食らいと考えるか少食と考えるか

いわゆるグラトニイの問題がある
読者というものが食らいつく性悪なものたちと考えれば、あまり与えすぎてはいけない
だが問題は与える与えないという立場自体であり、そこは役割がわかれているからそうなっているのだが、ではいつからわかれたのかということである
連歌などではお互いやりあう
共食いしあうということであり、一緒に同じ釜の飯をくうともいえる
ではその釜は何か?
共通基盤、共通理解
ならば文学は通の寄り合いだということか?
そうであるだけはいけないだろう
通にだけ訴えるのではなく、素人に強く訴えるところがなくてはいけない