なんで障害者が昔の文学作品にしばしば出てくるか?

おそらく、一般の人間は一生かかっても障害者を見ることがなかったからであろう
お金に余裕がない村や町では障害者はすぐ間引かれるだろうし
障害者を見るためには見世物小屋にでも行くしかなく、誰にとってもはじめて見る障害者は衝撃をもたらすものだったのだろう
文学作品でも同じで、障害者を出せば読者の興味をかきたてるものがあったのだ
この際注目すべきは、障害者が読書はしないことがまず想定されているということである
読者はみな健常者でありディーセントであるということが作者によって強制されているともいえる
ならば読者のなかでおかしな読者がいたほうがいいのかもしれぬ
だが、読書という行為がおかしさを封殺するところがあるのである
読むときだけは人は狂うはずがないのであり、狂っているなら読むはずがないのである