古今集について

どうも日本人は編集がとても苦手である
にもかかわらず古今集はできた
ならばこれは日本人離れしているといっていいだろう
見方を変えれば、日本人から離れないと総合的文芸はできないということだろう
そうすると仏文や独文や中文を礎にすれば小説は書きやすくなる
あるいはSFなりミステリーなり海外発祥の文芸ジャンルを礎にしてもやりやすい
純日本でいくとなかなかむつかしかろう
しかしそうやってできた小説が純粋かというと
ある程度は不純物は混じっているだろう
その不純さが
社会の不純さによって免責されるのだとしたら
小説家は妥協屋ということになる