「チックと海」(第ニ回)

 つぎに僕はにおいについて考えたのである。においというものはにおい物質があって、その物質が鼻に付着した時に感ずるものらしい。ならばにおいを感ずるには漂うべき大気が必要ということになる。大気なくしてにおいなし。人間的地平、これはおよそ地上2メートル以内の極めて限られた空間であるが、この帯域ににおい物質がないとにおいは感ぜられない。たとえば地上2メートルから10メートルのところににおい物質が滞留していたとしたら、人間はにおいを感ずることはないだろう。すぐ近くににおいがあるのに気づかないわけである。それくらい、においというものが視覚を欺くともいえる。においは直接的体験によってしか知覚されないのであって、におうということは即物的体験なのである。そこには精神上の作用はないだろう。たとえば文学作品において、人の体臭が加齢や気象によって刻々変化していくというものを綴ったものはないであろう。そこではいつも「気がついたらにおいが変わっていた」ということになる。となるとにおい小説というのも可能になる。においにおける精神分裂というのもテーマたりうる。しかしこれはなかなかむずかしそうではある。なぜなら、においというものの性質上、ものごとの列挙羅列小説になりかねない。いきおい散漫になる。