哲学ギモン

ジャーナリズムにおける問題

ジャーナリズムはかならず媒体を要して 誰かから共感されることを要している それは最初からアノニマスなしかし必ずいるとわかりきっている人々からなんらかの必要によって読まれることを予定している ということはジャーナリズムはどこまでいっても独立はし…

汎神論と無神論

スピノザ哲学とは汎神論らしい 自然の万象を神のあらわれのひとつとするようだ ひとつのホリズムである スピノザがいう自然とは何か? 僕がさきほど考察したように、信徒対教会間のありよう、関係性ではなさそうである 近代になればなるほど関係性のほうが問…

東洋の哲人

どうも 東洋の哲人が隠居隠棲をするのは 世俗権力から独立するためだけではなく 金から独立するためとも言いうる 西洋の哲学者は なんといっても金とずぶである ずぶの素人のようなふりをするものの 金とは縁を切れない ここから考えると どうやら金は西洋寄…

宗教と金

どうも西洋では 宗教というのは信仰を基礎に成り立っているが 宗教団体というのがアナアキズムには至り得ず かならずヒエラルキを持つ そうでないと国家に対抗できないからではあるのだろう 国家が金を採用したことに対抗して 宗教内で仮想通貨として信仰を…

信仰と信仰行為

西洋では 抽象概念が発達しているので 信仰を共有しつつ 信仰をレベル分けすることも可能である ところが日本は かならずしも抽象概念が発達していない よって信仰よりも信仰行為が重視されたと考えれば 念仏がどういうものだったか少しはわかる 念仏という…

完成と共産主義

どうも日本を考えると 完成を拒んできたという歴史がある 共産主義が日本にあてはめられると 何もかもぴったりいって 完成してしまいそうである そうなると瓦解するしかないのであり ではファシズムはどうかというと あれも最終的には 共産主義から遠いと見…

「かもーない」の思考パターンは捨てようと思う

「ある」で統一する 「ある」程度で判断する 大なり小なり「ある」ことは「ある」 「かもーない」の何が気に入らないかというと、懐疑しつつも肯定するからである これはあらゆる中間的搾取を可能にする思考形態なのである 懐疑なら徹底して懐疑しなければな…

「力への意志」が低俗化したら肥大化願望になるのである

そうなると国家は版図を拡大しようとして帝国主義に走る アメリカ合衆国における国民が肥満しがちなのは、食生活習慣がよくないということもあるが、アメリカ合衆国にひろく肥大化願望が蔓延しているからとも言える

ニーチェの発狂はこういうふうに説明できるのかもしれない

かれの哲学が将来援用されて世界戦争が起こり、その結果生まれるすべての死体がかれの現前に一度にあらわれる そういう幻視をした瞬間に発狂したのかもしれない もちろん、ニーチェがいなくても世界戦争はどのみち起こったのであろうが、ニーチェが恐れたの…

フランスの哲学っていうのが

原子力反対運動がまったく機能してないようにみえるから ダメなようにも見える 原子力反対運動が盛んな国なら哲学がすばらしいというわけでもないだろうが

風景獲得か風景生与か

欧米は風景獲得なのである ゆえに風景は作り替えられるし改変できる 日本では風景生与なので、すでに決まっているのである ゆえに、風景からはみだした人は鋭く排除されるようになる

神様がいないなら日本ではデカルトが成り立たないのではないか

オッカジオナリスムもだめだ 神が原因ということにはならない 神の後ろだてによる理性も想定できない じゃあ何が後ろだてか おそらくなかま意識だろうか なかまと同調しているうちは間違わない 正しいとは言わないのがみそで、そのようなポジティブな主張は…

30そこそこでこんだけ哲学がわかったら

50才くらいになったらどれだけわかっちゃうのか想像もつかない ちょっと理解のペースを遅らせたほうがいいのかもしれない 過ぎた才気は寿命を縮める恐れがある

ソクラテスが事情を捏造するという癖

ソクラテスは、よそものがアテネに来た時に、「アテネではこうこうこういう事情なんです」というが、実際は一枚岩ではないはずなのである 相手がよそ者だからわからないと思って安心しきって言っている ソクラテスは戸別調査をして統計情報としてまとめて言…

カント哲学と健康

純粋理性というものが、命を無批判に受け入れているわけである 生への懐疑はないわけである 肯定をつきつめるための思想なのである 純粋を健康と置き換えてもよい カント哲学に不健康性をまったく見いだせないのである ゆえにカント哲学は逆説的にあらゆる不…

知識とは何か

じつは、日本においては知識とは何かというと、 先行経験、 ないしは、 追体験すべきもの、 であり、 儀礼なのではないかと思われてきた

知識と科学技術

そのような日本的知識であっても、 科学技術においては何の不足もないのである 科学技術というものが、内面の充実とは一切関係がないというところにおいて、 日本的状況を一閃のうちに切り裂くのである ところが、内面の充実とは一切関係がないといっても、…

ソクラテスのお追従には裏がある

ところが諸君は、それは無知ではなく、何か別のものだと思い込んでいるものだから、そうした事柄の教師であられるこのソフィストの方々のところに、自分で行こうともしないし、自分の子どもを通わせようともしない。(←自分の論理展開を有利に運ぶための決め…

ソクラテスがなぜおのれの知的横暴がなぜ許されると思ったのかというと

おそらく、自らの所属する知的コミュニティによって擁護されると思っていたからだろう ソクラテスは、法によって裁かれたのだが、まさにその法が狭いコミュニティから人間をひっぱりだして公開の場で裁く それが法なのである 法というものが、公ということに…

ソクラテスとオリンピック

ソクラテスは、どうやら知の競技をやろうとしたのである 僕には、ソクラテスがオリンピックの優勝者に対して嫉妬しており、自らの肉体に対して負い目があったように思える かれは、知のオリンピックを主催し、みずからもそれに出場し、優勝したかったのであ…

ではソクラテスは弁論大会をやりたかったのか

それも違う気がする

都市と謙虚

少なくとも、アテネ市民においては、アテネにおける最もさびれた地方より謙虚であろうという気持ちはないわけである そのような滑稽な謙虚さは考慮されない それよりも、分相応な自信をあらわすことが自然であるということになる しかしそれは、地方市民から…

ソクラテスは自分しか知りえない自分のことについては嘘を言う

「プロタゴラス、わたしはいささか記憶力の弱い人間なのです」 じっさいは、ソクラテスは記憶力がいいほうなのである。 なのに、こういうことを言う。 これは、卑怯なやり方である。 僕がソクラテスに感じる違和感はこれである。 自己弁護ならぬ自己名誉毀損…

ニーチェが芸術を肉体と結びつけていてがっかりした

肉体から来るようではだめだ 霊的芸術でなければだめだ しかし霊的というと形而上学になるからだめだぞーって言って馬鹿にされる ならばニーチェなど狂い死ね!と思ってしまうが、実際に狂い死んだ人にそんなことを言ってもこっちが馬鹿を見るのである

価値判断の基準

日本における価値について僕が抱いているギモンは、どうも、こういうことだ 日本では普遍的価値と思われているであろうものを価値判断の基準にする人が多い 普遍的価値は、大筋は変わらないにしても、ある程度は民意によって変遷するものである しかし、その…

日本人は自分を自然の一部として生きる、といっている老哲学者がいるが

あまりにも浅はかな決め付けと楽になりたいがための落とし込みである そのような総体的(holistic:ホリスティック)な自然観が日本人にはあるはずがない あるとすれば、幸福な日本人にだけあるのだろう。 そして、そのような総体的な自然観は、幸福でない日…

日本人は自然的原理でものを考えているというが

それなら不自然としか思われないようなさまざまな人間間における理不尽や不条理が起こるべくもない とうことは、日本人は自然的原理に見せかけた超不自然的原理を無理強いされているということである ところが無理強いされつつも、得な役回りをすれば無理強…