ソクラテスが事情を捏造するという癖

ソクラテスは、よそものがアテネに来た時に、「アテネではこうこうこういう事情なんです」というが、実際は一枚岩ではないはずなのである
相手がよそ者だからわからないと思って安心しきって言っている
ソクラテスは戸別調査をして統計情報としてまとめて言っているわけではなく、主観的判断からそういう事情を言っている
ソクラテス社会学からすると傲慢な態度をとっているわけだ
ところが当時に社会学はないのだから、傲慢になったとは思われないだろう
ソクラテスが言っている事情は、一個人の観察から得られた恣意的な意見、ということになる
ところがその一個人の恣意的な意見は、議論を有利に進めるために利用される
ソクラテスにあっては、逆はほとんど見られないようなのである
とはいっても、その有利に進むということが、名声や論敵の打破につながるというより、議論を支える土台を疑うために有利に進むということになっているので、ソクラテスを批判することも難しい
別に悪いことをして利を得ているわけではないからである
ただ、プラトンが書いた本の中でソクラテスがそう言っているのであって、実際にどうだったかはわからない
そもそも、市民が日々意見を変えて政治的に玉虫色であるということは、想定されていなかったのかもしれぬ
市民たちが、そのようなわけのわからぬ政治上の娼婦であるはずがないという信頼がプラトンにあったと考えたほうが自然であろう
市民というものが、ただしい議論を経たら一枚岩になるという考えを、プラトンが持っていたのかもしれぬ
そう考えると、ファシズムというのは、ただしい議論を緊急性から回避して、一枚岩という結果を提供するものであって、民主主義の原点から見ても、突飛でもないという考えもできる