文学者が自殺したからといって自殺が達成されたことになるのか

自殺しつつ死後いつまでも娼婦のように自らの自殺について人々をまとわりつかせるとは甘え行動ではないのか
いやそれは娼婦以下であって、娼婦はワン・ナイト・スタンドによって一回ぎりの商行為をするのであり、それは甘え行動というよりもきびきびした小気味いい社会人的行動である
かといって自殺しなければそれはそれで様々に言及される
その言及はだいたいにおいて自己実現を遠退けるのであって実存主義からするとまったくもって妨害行為になることも多いのである
だがそれは、言及についていちいち金銭を取得するのであれば資本主義的には正当化されるのではある
つまりは市場を活性化するのであればよしということにはなる
自殺が甘え行動でしかないというのなら、生きたまま自らの脱価値化に勤しまねばならぬというのだろうか
自らの値段を下げていくという下降運動である
しかし、そもそもほとんど価値がない自分であった場合どうやって価値毀損をすればいいのか
ここまでくると自らの価値を高めるという行動を経ざるをえないということに気づくのである