ニーチェの発狂はこういうふうに説明できるのかもしれない

かれの哲学が将来援用されて世界戦争が起こり、その結果生まれるすべての死体がかれの現前に一度にあらわれる
そういう幻視をした瞬間に発狂したのかもしれない
もちろん、ニーチェがいなくても世界戦争はどのみち起こったのであろうが、ニーチェが恐れたのは「ごくわずかな寄与」だったのではないか
パヴェーゼにおいてもそういうことがあって、自分のアメリカ寄りの文学によって将来イタリアがぐっと悪くなるのではないか、それに自分は寄与したのではないか、といことが気になってしまったのかもしれない

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われわれは戦争をよく考え直さないといけない
ドゥルーズがいう「戦争機械」とは何か?