「かもーない」の思考パターンは捨てようと思う

「ある」で統一する
「ある」程度で判断する
大なり小なり「ある」ことは「ある」
「かもーない」の何が気に入らないかというと、懐疑しつつも肯定するからである
これはあらゆる中間的搾取を可能にする思考形態なのである
懐疑なら徹底して懐疑しなければならないし、肯定なら徹底的に肯定しないといけない
うすらぼんやりしたどっちつかずは、ところが日本人に向いているのである
ここが厄介なのだ