「かもーない」

「かも」、は必ず「ーない」、になだれこむのであって、
「かもーる」、にはならない
かもによってカモられるのである
思惟におけるカモフラージュにおいて「かもーない」が用いられることが多いので、思惟そのものがすぐに立ちゆかなくなることがほとんどである
「ーない」とうそぶいた思惟をしたあとはもっと安易ななだれこみ先を探さないといけなくなる
あるいはテクニカルな思惟によって個人から遊離した思惟になるのである
しかしその遊離はまったくおもしろくないことが強要されているのである