信仰と信仰行為

西洋では
抽象概念が発達しているので
信仰を共有しつつ
信仰をレベル分けすることも可能である
ところが日本は
かならずしも抽象概念が発達していない
よって信仰よりも信仰行為が重視されたと考えれば
念仏がどういうものだったか少しはわかる
念仏ということを改めて考えると
経済的な視点から見たら
あきらかに余剰行為である
ところで信仰には
余剰はありえない
余剰を企図して信仰するなどとは
不心得であろう