2013-10-07 信仰と信仰行為 哲学ギモン 西洋では 抽象概念が発達しているので 信仰を共有しつつ 信仰をレベル分けすることも可能である ところが日本は かならずしも抽象概念が発達していない よって信仰よりも信仰行為が重視されたと考えれば 念仏がどういうものだったか少しはわかる 念仏ということを改めて考えると 経済的な視点から見たら あきらかに余剰行為である ところで信仰には 余剰はありえない 余剰を企図して信仰するなどとは 不心得であろう