汎神論と無神論

スピノザ哲学とは汎神論らしい
自然の万象を神のあらわれのひとつとするようだ
ひとつのホリズムである
スピノザがいう自然とは何か?
僕がさきほど考察したように、信徒対教会間のありよう、関係性ではなさそうである
近代になればなるほど関係性のほうが問題になる
セオドア・パーカーは個人対自然=神ではなく、個人対神である
これはみようによってはアナーキズムである
アナーキズムをよく考えると、宗教感情が剥奪されていることがわかる
ところが、宗教感情が剥奪されたとしても国民感情、いわゆるナショナリズムは剥奪しえない
国籍を剥奪しえないというのが、どうも国際法の最終的限界である
宗教を剥奪したら国家主義に滑り込むしかないようである
これは、個人対自然=国家、となるということである