セオドア・パーカーがいう唯一神教

これは、世界宗教をあらわしているのだろうか?
どの教会でも、教区民を相手にするのであって、その教会は支部である
いわば、その宗教における地方対策となっている
ところがセオドア・パーカーはそのような教会の機能を軽視する
それよりも、信徒の底上げを狙うのである
だがそれをやるとすると、教育という問題にいたるが、その労苦はとらずに信徒が自発的に目覚めるように期待するのである
そんなことが容易にできる信徒が大勢いるわけがないのである
したがって、必然的に唯一神教は少数派にならざるをえない
セオドア・パーカーは関係性においていささか鈍感だったのだろうか
個人主義の敗北とも見える
個人主義は実現困難なのであって、曲がりなりにも個人主義を実現したアメリカはすばらしいという評価になるのだろう
セオドア・パーカーは晩年アメリカに帰ってきて黒人奴隷解放に尽力したらしいが、素直に自分の気質に沿った行動をしているようで、そこは言行一致しているところであるといえよう
ただ、自分の所属する民から一段二段落ちた民を相手にしたということでもあり、それは妥協である