部落・在日問題の事実への侵食性

どうも、部落・在日問題というのが、あったこと、事実、を、なかったことにするのにも使われているようだ。
誰も、解放同盟の関係者及び関連者(傍観者含む)以外は、部落・在日問題を声高に叫ばない。
つまり、ない、ということになっている。
これが、意外にも、従軍慰安婦問題がなかったと言う根拠にもなりうることに、気づいた。
変な話だ。
部落・在日問題という大きな厄介ごとが、解放同盟によって、無害化できたと思いきや、はみ出し者の個人による個人的迷妄的認識以外の、厄介ごとの総体的認識を、不可能にするよう強いることになる。
こういうのが、私を苛立たせる、秀才の成り損ねが考えるようなことなのである。