文化ギモン

呪詛部隊と皇帝

呪詛部隊というのが皇帝によって全国津々浦々から集められた精鋭部隊としたら 呪詛は国家的統一偽科学としての一形態だったと言える 日本武人は早くから当地に土着して中央たりえなかったから、ご当地呪詛者しか登用しえなかっただろう ご当地に霊泉があるか…

1920年前後における東京下町やくざとニューヨークギャングにおける類似性

およそ一世紀遅れて、ニューヨークギャングによってなされたことが東京下町やくざによってもなされたようである いまでもよくやくざが前時代的なことをしでかし、われわれ善良な市民があんな遅れたことをやっていると驚かされるが、なんのことはない、一世紀…

日本の文化が習合主義なら

それはサンクレティスムということである サンクレティスムの詩人は発狂の憂き目に遭っている人が多い ところが日本は習合しながらなぜか発狂していないのである というのも、おそらく薄い発狂の膜が国全体に張られているのである そこでは、発狂専業団体が…

日本発の新芸術運動ってないな

映画でもそうなのだが、商業主義が先に来ている それぞれの監督の中に、新芸術運動の傾向はあるにしても、傾向にとどまるわけである 新芸術運動が商業的スパイスにすぎないと言われても仕方がないとすら言える 新芸術運動のほうが作品よりも重要ということに…

とはいっても

新芸術運動をちらっと見せ、まわりに笑顔をふりまいているような映画監督は、器用で成熟した立派な大人と言われて好印象を与えて評価されるのであろう 運動にもっていかれる人間は幼稚なのである もっと広くとらえれば、なんらかの概念に引きずられることが…

殉死とは

主義に殉じないかわりに人に殉じるということかもしれぬ この観点から見ると、三島由紀夫割腹自殺ははじめて主義に殉じた自殺なのだと見ることもできる

日本には文字信仰がある?

素朴といってもいい文字信仰があるのではないか 文字に何かが宿っているのである それは神のごときものでもあり、霊のごときものでもある 文字が単なる情報伝達の部品だとは考えられてはいないわけだ 少しうがってみれば、文字が権威的ということでもある 権…

世俗勢力と哲学

世俗勢力は、その哲学に対して都合がいいかどうか見るのであり、ほかのことはほぼどうでもいいのである 都合がいい哲学なら、いいように援用する かれらは、その哲学への理解を目指すというよりも、実用を考えるわけだ

日本軍というのは作るのが難しいはずである

ところが、近代という状況に放り込めばすぐできたのである それが異常事態なのであるが、近代というより上位の異常によって正当化されたのである 日本が近代を担おうとしたのではないかもしれないということはわかる 功利の心から何かを嗅ぎつけたのであろう…

個人主義と個人の照合

個人の照合というのが 広い意味でどのような種類の個人か分けるということが 個人主義が成り立ったあとなら 個人であることは揺るがされないので なんとか容認できようが 個人主義が成り立っていない場合 豚を分別することと同じになりはしないか もしそうな…

日本の体制のロバストさ

このロバストさは、共産主義国家から借りているとしか思えないところがある つまりは、左翼つぶしが奏功した結果、左翼のロバストさをひねた形で体制が受け継いだのある

覇権不可能国家日本

であるからこそ派遣はすばらしい、派遣を推進しようということにもなる 幼稚な言葉遊びなのだが・・・

体制側

日本において特有なのかしらんが 体制側というと「つくか離れるか」の問題になる 実際は民主義社会であるなら体制も多種多様でなければおかしい ところが日本では体制は一様であると思われているし、実際そうなのである なんでそうなっているかというと、単…

資本が文化にとってなくてはならないのだとして

では、なぜ文化から資本が生まれないのか そう考えると、文化は資本をもとにして生まれるなんらかの製造物、加工品であるということになる

箱庭的総合

ひとつひとつの分野を これ以上ないほど縮めて そしてわれわれはこの分野を総合したと胸を張り それぞれの分野の内部ではお互いに笑顔を見せ合い 利益や権益を調整している もしも外の人間が何か批判をしたら じゃあかれは仲間はずれにしちゃおうということ…

日本を好きになれというのが無理だ

在日やら部落やらを用意しといて好きになれと命令されても よほど金をもらえば好きになる人もいるかもしらんが 僕はどうも好きになれない もうずっと前は母国だから一応期待はしたが だいぶ裏切られてきた気がする かといって恨む気持ちにもならん なぜなら…

なんのための癇癪か

人様に迷惑をかけないための癇癪ではないか 内々で済ますための処世術として癇癪をみるべきなのかもしれない 日本では、外に向かえば狂人、人でなし。 うちに向かえば微笑ましい、ということになる。 たとえば、DVもやって外でも傷害事件を起こせば、それ…

隣の隣の隣で行こうとするのが江戸町人文化

隣がずっと延長できると思っているのだ ところが、隣ではないところがいつかは来る 距離が離れれば隣である性質はどんどん少なくなっていく そして、どうしても隣になれないところが出てきたら、今度は排除に向かう ここで意外なことがあって、排除したにも…

癇というのは人格上の欠点であるのに

なぜか直そうとしない では、癇を直さなくてもいいというのなら、癇が出た時の自分を録画してあとで見直せばよい そこに美しさを感じるのであれば、そのまま癇を大事にしていけばよい しかし、そうではないのである 癇は録画不可であるべきものなのである な…

科学的ではない問題が科学における実行に際してどうなるのか

文化的思想的な問題が 科学によって相対化されなかった場合 科学における実行に際して 無視されることになり 無視された場合は その実行の当事者のみが得する方向に運ばれる となると次は 当事者の締め出しと排除が起こり 本当の当事者である国民は 納税部門…

いわゆる被災詩人が多々いるようだが

反体制被災詩人は一人もいないのである こういうこと、日本の伝統なのでいまさら驚くには値しないのだが、そこだけがぽっかり抜けているので あれっと思わざるをえない

失敗と自然現象の融合

どうもこれがありそうである 科学技術が失敗した場合、自然現象に帰責される しかし帰責割合はいまいちはっきりしない あの原発事故において誰も責任を取らないというわけではないのである 責任はあるのかないのかわからないが、仮にあるとしてもパーセンテ…

禁忌に理由はないのか?

禁忌とは文化に固有なものであるから 理由はないとされる ところが文化が利益追求のために捏造される場合もあるのである

終戦後になぜアメリカに抵抗しなかったのかギモンだったが

こういうことかもしれん 節目にあたる時期が来ると、日本人は日和見するようにできている あの時も、大多数の人間は日和見をしていたわけである 日和見をしながらどこかを攻撃する人がいるわけがない 日和見するというときは日和見に専念をするのであって、…

日本は宗教が弱すぎる

だから少なくない信者を抱えるカルトがポコポコある カルトという繭がいくつもあるといった感じである 各カルトは繭から宗教感情が漏れることをすごく嫌うので、繭の外、つまり一般空間ではいつも宗教感情は疎外される 公衆の面前でおおっぴらに宗教感情を出…

自由な暴力が日本でありえるか

いわゆる無差別殺人などはそれにあたるのかもしれない 無差別殺人と報道されるものから構成要素を並べると、単独犯、場当たり的、他者との相談なしに起こされる、目的が金銭その他にない、である そう考えると、自由とはなんと悪辣で蒙昧だろうということに…

底抜けになってないから救われないのである

きっとそうだ

中年女性の意見が大事なのではないか

アメリカでいうオプラみたいな人がいればいいんだが 中年女性が日本では弱い 中年女性が強い国は強いと思う

あきらめろ、というメッセージが蔓延している

がんばれ、たたかえ、じゃないのである これはどういうことかというと、諦念に偽装された卑屈である 非暴力服従の教えである

東大とエゴイスト

いつも東大卒の人の本を読むと思うのだが、みんながみんなと言っていいほどエゴイストなのである 彼らは、自分の立場をひたすらフォティファイするのである そのために世界のあらゆるものから使えるものを引っ張りだそうとする ところが、上部構造の中で自分…