2013-06-05から1日間の記事一覧

日本発の新芸術運動ってないな

映画でもそうなのだが、商業主義が先に来ている それぞれの監督の中に、新芸術運動の傾向はあるにしても、傾向にとどまるわけである 新芸術運動が商業的スパイスにすぎないと言われても仕方がないとすら言える 新芸術運動のほうが作品よりも重要ということに…

とはいっても

新芸術運動をちらっと見せ、まわりに笑顔をふりまいているような映画監督は、器用で成熟した立派な大人と言われて好印象を与えて評価されるのであろう 運動にもっていかれる人間は幼稚なのである もっと広くとらえれば、なんらかの概念に引きずられることが…

たとえば新感覚派が新概念派だったら?

総スカンをくったんじゃないだろうか 新感覚派といいながら、そのじつ感覚の仕方は旧世代や現世代ともほとんど変わらないのである 新感覚派が哲学運動であると考えるとまちがう 感覚は最小の要素という西洋風哲学理解でいくとまちがう 感覚は慣習であるとす…

第三の

どうやら日本は 不可能性に満ちているのである かれは「性交ならできるよ」とぼくにささやき 煽情的であったりそうでなかったりする ごまんの女をぼくに差し向ける そして「ほらほらほらほらほら」とせっつくのである ぼくはというと かれに第三の性器を見る

学者の道は遠し

おそらく学者たちは ぼくの十倍以上の速さで文章を読み ぼくの百倍以上の理解を達成しているであろう ぼくはあまりにも読むのも理解するのも遅い さしずめ鈍行である

こういうことかもしれない 

新感覚派は、感覚重視なのが新しいのであって、新感覚でことにあたるのではない

機能主義なのだろうか

すべからく機能主義であって、営利企業がそうなのは仕方がないにしても、国営の国がそうなのである

機能主義

機能主義が徹底すると、なんの機能かは重要ではなくなるのかもしれん つまり、機能自体が重要になり、なんのために誰がどうやって何をするかは問題ではなくなるのである たとえば今では商業主義に傾いているようにみえるが、なりゆきじょうそうなっただけだ…

殉死とは

主義に殉じないかわりに人に殉じるということかもしれぬ この観点から見ると、三島由紀夫割腹自殺ははじめて主義に殉じた自殺なのだと見ることもできる

日本における卑怯さ

日本における卑怯さは日本からは出られないのである

日本の笑い

日本の笑いは卑屈を助長させるために機能することがほとんどである