たとえば新感覚派が新概念派だったら?

総スカンをくったんじゃないだろうか
新感覚派といいながら、そのじつ感覚の仕方は旧世代や現世代ともほとんど変わらないのである
新感覚派が哲学運動であると考えるとまちがう
感覚は最小の要素という西洋風哲学理解でいくとまちがう
感覚は慣習であるとすればわかりやすいか
新なになにというと風が吹くと考えればいいか
受け手としては、そんな風もあったのかーという感覚で向かうのが正しいのかもしれぬ
ならば、新なになにが異様な人工物であってはいけないということになる
それは受け手をむっとさせてしまう