無理は仲間はずれ

無謀、無益、無害、、、とはどうも違う。客観的状況をさすのでも主観的状況をさすのでもない。
あえていえば社会的状況かな??
無理というとき、理が無いということになるのか。
何の理か。
誰にとっての理か。
万人にとっての理か。
だったら市民的な理か。
日本人的な理か。
そうではたぶんない。
自分の社会的立場を考えたときにできないときに無理という。
例1:
村人A「お前もおやかた様の軍勢に入れよ」
村人B「無理だよ俺は百姓だし」

不可能は不可能でも、世間的に不可能なのが無理なのだ。
それで世間がしょっちゅう変動するなら無理なことも逐一変わるが、世間が変動しなければ無理なことは変わらない。
無理というのはきわめてあいまいで使いにくい言葉であるということを認識しておいたほうがいいのかもしれぬ。
だがあえてこういうことばを使うことでフランクな感じを出すことができるのかもしれぬ。
「ムリムリ、おれにはそんなの」
「あたしにはムリよー」
といえば親しみが出てくる。
無理、といえば自分が悪いというより世間のほうに責任を負わせることができる。
欧米には無理、という概念はあまりないと思う。
プロバビリティーがないのが無理だともいいうるが、これは欧米では市民社会のルールをふまえた上での話であって、世間とは違うだろう。
世間は日本にしかない。
ならば次は日本にしかないものをひとつ残らず標本化して逐一解剖しつくさねばならぬ。