揚棄なき文化

かならず棄てられない
片付けられない国、というのがふと浮かんだ。
不要人員を片付けられないから戦争をしてきれいになったから戦後しばらくは続いた儲け構造がうまれたともいえる。
今もまた不要人員は多い。
こいつらをどう処理するかというので体制は頭を悩ましているのかもしれない。
体制に人格があると思うから間違えるのかもしれない。
体制は体制の論理、すなわち失脚を避けて自己保存を行うということ以外に何も考えていない。
体制は最適行動を取ろうとする。
そこに哲学はないのかもしれぬ。
バランスを取ろうとしたときに、バランスの哲学がないから、そのつど露骨にバランスを取ろうとするのかもしれぬ。
いやそうではなく、バランスの哲学は歴史だと言ったとして、ならばなぜ毎度ひどいことに内の外部でなるのか。
ふつう成熟した国家は内の外部であっても美点があるべきとされる。
ところが、内の外部に美点が許されていない。
美の自立が許されていない。
きかんぼうのような美が自立めくことや、専門的な美があることや、歴史的な美があること、はむしろ歓迎される。
ところが美そのものがあることはあまり歓迎されない。