俗語が主であるという考え方

高尚な言葉が俗語に貢献して俗語を高めるという発想があるらしい
民主主義的ではある
多くの人が使っているからえらいという考えか
たとえ大上段にある高い文学性を持つ作品があるとしても、それが究極的には俗語に貢献しなければならないということか
民主主義だからそうなのだろうか
だが日本の民主主義は民衆が勝ち取ったものではない