源氏物語を読んでのギモン点その1 あいまい化について (桐壺を読んで 1)

 この御方の御諌めをのみぞ、なほわづらはしう心苦しう 思ひきこえさせたまひける。
・「のみぞ」と言いながら、限定ではない。それだけを対象に何かをする、のではない。何かを他のにもしているが、それについて特にするということ。「チョコだけ買う」と現代語で言うと、チョコしか買わない。忠実に現代語訳すると、「チョコだけも買う」ということになるのが、「のみぞ」ではないだろうか。現代には行為の特定があり、意思表示は一つに向けられていなければならない。しかし古典文学における貴族の世界では、意思表示は多様にあり、それらの意思表示が一つのあいまいな行為に収斂するといった感じである。では、「のみぞ」を「ことさらに」と言い換えてもよさそうなものだが、「ことさらに」よりは明らかに格が違う。そういうときは「のみぞ」になるのかもしれないな。

 なかなかなるもの思ひをぞしたまふ
・「なかなかなる」とだけ言って、文脈から類推させる。自明なことというのを押し付けてくる。それだけならまだいいけど、2段階3段階方式で自明なことがさかのぼったりするのだと思う。よほど詳しくならないと何が自明かわからない。