「リヴ・ヴェーダ」の汎アジア性

アジア各国の神が、「リヴ・ヴェーダ」に出てくる神のバリエーションにすぎないのかもしれないと気づいた。
インドというのがアジアの文化的な父なのかもしれない。
しかし、インドがイギリスに占領されたことで、完全に文化は断ち切られて、今のインド文化は旧植民地文化としてとらえられるのであり、それ以上の歴史を担っているとは思えないのである。
植民地化、というのが、経済的にというより、文化的な影響のほうが大きかったのかもしれない。
国土にというのもそうだが、文化に侵攻するのが帝国主義なのかもしれない。
文化のオープンマーケットがグローバル経済市場だとしたら、文化的侵攻を果たしたいならば自国の言語を統一言語としないといけない。
その言語が英語だとしたら、英語を学ぶのは、敵に塩を送るどころか、自分で乗り込んで料理を振舞ったりの、家事手伝いまですることになる。
そういうことはもちろん私の本意ではない。