アメリカの映画では他文化の人がよく出てくる

アメリカが目指してるのは文化の中道なのだろうかとふと思った
これぞアメリカ文化というのを目指すのではなく、さまざまな文化を取り入れてその中道を行くというのは、
文化における現実的な妥協である
そのような文化の上では、これでなければならないという文化は考えがたい
臨機応変に変えてしまうこともありえるだろう
文化が民主主義の上を行っているのではないと考えていいのだろうか
民主主義が主で文化が従であり、民主主義の意向によって文化は変化しうる
いっぽう日本では文化は伝統を礎にしており、あさはかな現代人が変えようというのは間違っているということになる
しかし実はそうではなく、日本の文化は大きくふたつあるのであり、
変わらない部門担当の文化と、変わる部門担当の文化があり、ふたつの文化は衝突しないことになっているようである
衝突しないにも関わらず時々融合したりしているふうな感じがしないでもないのが少し興味深くなくもない