東北に哲学者や文学者が少ないというわけではないだろうが・・・?

地域の議論というのが、井戸端会議にとどまりがちなのは、日本に特有の話なのだろうか。
たとえば、東北でパネルディスカッションなりをやるとして、それは東北主導ではほぼ行われないと思っていい。
地域色を出す知識人が少ないのだ。

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郷土史研究家はいるかもしれないが、現代の郷土について、建設以外の建設的議論をする人は少ないのかもしれぬ。
郷土が精神面で近代化されていないという問題があるのかもしれぬ。

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各立場から発言する人がいるにしても、一同に介してオフレコなしで会議するということはない。
一同に介する会議文化がないのかもしれぬ。
社内とか学会内とか縦断可能な範囲内の学問分野内では会議があるかもしれない。
しかし、異種間の会議はほとんどないのだ。

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それだから、ヴァーリトゥード(異種格闘技)がはやったのかもしれない。

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郷土においては前近代的産業が念頭に置かれる。それを埋め合わせるには超近代的な産業を持ってくるというのも方法なのだろうが、そうはならない。
都市が近代を逃がさないからだ。