ふつうのしあわせ

ぼくは
ふつうのしあわせをえていないことに
かなりふまんをつのらせている
かねとよめとしごと
このみっつをてにいれ
うまいこと
ひとよをすごし
しぬまでにはいいかくどでふんぞりかえり
むすめになかれながらしぬという
りんじゅうがあっても
いいとおもってしまった
しかしいっぽうで
しあわせがこないことが
ただしいぶんがくどうのようなきもして
そこでなやんでいる
ぶんがくをしじょうにのせて
ぶんだんにのっかって
たのしくざいにちぶんがくをかけばいいとかんがえもあろう
だがそれをやるにしても
はやすぎるきはする
ぼくのなかであめりかをまだりかいできていないし
ぼくのようなにんげんがぶんだんにでたら
だいぶまわりにめいわくをかけそうなので
それよりはこのままきえいろうかと
おもわないでもない
なによりねんとうにおきたいのは
いわゆるしゅうようじゃぶんがくというものが
ながいねんげつをかけて
こつこつつくられたということであり
ほんのわずかなきかんで
きゅうごしらえしてしゅうさいのさくひんになるより
どんさいながらやめずにがんばったということを
めざすべきなのだ
しかしもんだいは
どんこうでありながられっしゃですらなかったという
ことにおちいるきけんもある
ぶんがくというものが
ほんとうによくわからないなどとなげくふりをして
けっきょくじんせいをぼうにふるなら
きばつでもなんでもいいから
はっぴょうすればいいともかんがえるが
ぼくはさくひんのかんせいどにうるさいから
それもできない