secularな芸術である能がなぜあの世の人を持ち出すか

世俗性を徹底するなら、ジャーナリズムに近いような、
ごく最近あった大事件を題材にすればよい
たとえば将軍暗殺とか
だけど、いちおう将軍家に気に入られて召抱えられた以上、そこの悪口は言えないということか
いやだけど、外国の道化はそういうことを軽口にして語りだしたりもしそうだが
そうではないか
能は道化ではなさそうである
将軍家に気に入られたということは権威でもあるわけか
永遠に自立しない権威か・・・?
いやまてよ。
そもそも権威というものは、自立するのかしないのか。
日本における権威は自立しないものが多いようにも思う。
自立しないにもかかわらず、さも自然であるかのように権威づけられる。
そしてその逆もあるのだ。
なんのいわれもないcompromiseやtarnishがあったりするのである。
ところが、なんのいわれのなさでも年が積もれば歴史になってしまう。
惰性が歴史たりえるのだろうか。
ここはもっと考えないといけないところである。