免罪符

罪を許すというよりも、間違って民が溜め込んだ金を、教会が受け取り、そこで
霧散させるということに意味があったと思う。
浄化である。
だが、浄化したところで金はなくならない。
燃やすしかないが、燃やすと経済を混乱させることになる。
教会は受け取った金の大部分を運営資金にしてしまったようだ。
日本でいうところの寄進だ。日本では寄進のための興行をやったりもしたらしい。勧進というのもあったな。
宗教よりも金が勝ったのだ。
いちど金を受け取ったら、それらを無効化することはできないのであろうか。
金ということを考えるとき、ひとつ思い浮かぶのはtokenということば。
tokenとは、あかし、証拠、という意味が第一である。
そこから、代用貨幣、引換券、という意味もでてくる。
代用貨幣ということは、本物のお金ではない。
しかし本物のお金のように使えるということである。
本物のお金とは何か。
それは現状では、国家と密接に関わっている。
各宗教が独自にお金を作っていてもなんら不思議はないはずである。
だが、お金市場から宗教は排除され、国家のみに造幣は許された。
そこに不思議があるのである。
不自然すぎるのだ。
なんらかのblurprintがあったのかもしれぬ。
宗教が金をまともに相手にしないということもあるだろうが。