結局全部が総合されているのだとしたら

何か自分がやっていることが無駄に思える・・・
総合が上手な総合職人が大勢いて総合が終わってるなら、彼らがやり終わった総合を軽くなぞるようなことをする必要があるだろうか
しかも、総合が変だと思ったとき、彼らに頭を下げに下げてひょっとしたらおかしいんじゃないですかね、とお伺いを立てないといけない。
そこまでする理由は、飯の種になりうるから、という以外にあるとは思えない
こうまで僕が総合に懐疑的になるのはおかしいのだが

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生活にしても知識にしても、浅さを強いられていると感じる
専門知識があるにしても、ごく一部深いだけなのである
かたい氷の上に立っていて、一本のパイプが地下のエネルギータンクにつながっていて、かろうじて割り当て分を補給されるという感じがある。
ここでギモンなのは、地下にあるエネルギータンクに対しては、みじんの疑いも抱いてはいけないような仕組みになっているということである
それは科学への信頼であるのだろうか
科学を信じたとしても、いっときは裏切られるかもしれない。だが、科学はいつかその裏切られた分も覚えていてくれて、後でまとめて報いてくれる。と思わないといけないような気がするのである。
僕は科学信者なのかもしれない。