大衆小説

大衆小説とよく言われるが
よくよく考えると大衆が相手ではなかったりする
多数派が相手だったり購買層における主流派が相手だったりする
大衆とは多数派でも主流派でもないはずである
受動的になんらかの文化的製品を見たり読んだり聞いたりする人間を総じて大衆と呼ぶのなら
大衆とは消費者のことだろうか
ちがう
大衆はもっと
行動によってその都度持ち上げられるようなものではなく
大衆は
流されやすいが
芯の強いものであるはずである
大衆はもっと信頼するに足るものであり
ばかげた煽動に乗ったり
軽はずみな妄挙に付き従ったりはしないはずだ
なぜなら
大衆ひとりが愚かであるとしても
大衆同士の議論や討論によって
じょじょに賢くなっていくからである
畢竟
大衆は最後には大賢者団になる
でないとおかしいはずなのである