あほうさ

あほくささといわれるが
あほがにおわぬ
におわぬがわかる
しかも
おのれからそれが
しみでている
しかも
湧くようにである
ぼくが
あほうだとして
なぜ詩人もどきないし文学者もどきもどきが
あほうでないといられないのだろう
世の悲劇というか
世のことわりでもあるのだが
ぼくのようなあほうでありながらも
望みを数縷はもっているのであり
それはあほうゆえの
楽観かもしれぬ