おろか

おりる、または、おろす、から来てるようですね
天から下るということかもしれぬ
おろそか、とか、下とか、劣るとか、そういう意味にもなる
天には感情がない
天と言わず、仏と言ってもいいか
仏の慈悲は感情から来ているものではなさそうだな
慈悲と哀れみは同居するのだろうか?
慈悲というのが超越的感情なのかも
しかし、その慈悲によって直接的恩恵があるかというと、また微妙な話で、慈悲が金ではありえないのである。
たとえば慰謝というのだったら、社会に多くあるケアする専門家たちが与えるものである。
無職である専門家はいない。
ところが仏は、分類上は無職である。
乞食と仏は、無職という意味では共通し、類トモといえる。
だが乞食と仏は、文字通り天と地の差がある。

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無感情な絶対的平静者である天が下ってきて感情を示す、ということだ
平民の感情は、天の「おりた感情」の猿真似なのだ
平民の感情は欧米では「おりた感情」ではなく、人間の感情として尊ばれるようである
人間の感情をギリシャの神々が示したりもする
これは、東洋と西洋でまったく逆かもしれぬ
西洋では感情は偉い。
東洋では感情はおろか。

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日本でいわゆる「卸業者」が偉ぶっているのは、それがただの中間搾取でしかないにもかかわらず、「おろす」行為は上位者しかやれないことだからではなかろうか
そういう商人はもちろん下の者だ。ゆえに、商人よりも下が必要になってくる。
ずるのような下の者たちが必要になる。ずるずるいくしかなくなる。