なぜプロレタリアートが成立しなくなったのか

ひとつは、どのプロレタリアートでもなんでもしうる。
消費もするし投票もする。
自由主義社会の上ではプロレタリアートプロレタリアートである前にいち社会人であり、自由人である
プロレタリアートがする契約もすべてが自由契約であり、強制されたものではない
そうなると、抑圧され支配下にあるプロレタリアートとは言えなくなる
言ってるほうがアホらしくなるのである
アホらしくならないためには悲劇的プロレタリアートが必要だが、この社会は慢性的悲劇を必要とはしていない
ところがこの社会は突発的悲劇は大いに必要としているのである