なぜ俯瞰的小説が日本では不可能か

おそらく、俯瞰なり鳥瞰なりすれば、日本現代文学が巨大な男根であることが一目でわかってしまうからである
であるから、ほふく前進もしくは空想上の世界を飛び回るような浮ついた小説のみ可能なのである
僕はもっとも低空飛行する鳥にならねばならぬ
もはや飛んでいるかどうかわからないくらいの飛び方をせねばならぬ
そのためには日本全国行脚というものがやはり必要か
ぼくは日本を知らない
現にある日本を知らないのである