日本における現実の選択的受容

好ましくない現実は受容されないのだが、その際そのような現実はどうなるかというと一種の天災になるのである
そんななことはないと言われる向きもあろうが、好ましくないのに受容された現実は、すべからく物語圏の枠内にあることを確認して欲しい
物語られない現実は受容されないのである
であるなら、現実的に考えると、やるべきことは、物語られなかったものをつぎつぎ物語っていくことなのであろうか
それには大変な労力はかかりそうだが
しかしそれをやりおえたとしても、眼前にあるのは巨大化した物語圏である
そのような物語装置とはいったいなんなのか