飽きたこと

飽きられたことを性懲りもなく何度もやるということは興行主としては失格である
つまり、国家やマスメディアや興行主ではない
ひとつのトートロジー装置である
かれらはことばを繰りながらことばから疎外されつつ、読主や投票主には自分たち以上にことばから疎外されていつづけることを要求するのである