『草枕』における詩の扱われ方

「愉快になるのが詩である」、「寛容くつろげて、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ」ということらしいが、愉快であれば、くつろげればなんでもいいのか
下衆な愉快ということもある
愉快になればなんでもいい、というのならお笑いと変わらない
鑑識眼を要求されるならそれは庶民芸術たりえない
海外詩を気分だけ無批判に受容するなら、自律的とは言えない
感興を日本的に満足させるだけである
ここまで至って日本における詩が難しいことがわかった
漱石は、あえて詩について、作中人物に勘違いさせてみせているのではないか?