戦没者とオフィシャル

ふつう戦没者なるものを追悼するときには
戦没者に関係していた各個人が
それぞれ個別に悼むのであって
それはパーソナルな性質のものである
政治家が靖国に参拝して戦没者追悼するというとき
それはオフィシャルな性質のものであって
なんだかおかしな気がしないでもない
公人として行っているわけである
広義の公務員として行っているわけである
保守政治家ならこういう右翼的偏向が許されるとはどうしたことだろう
おそらく今日という日にあちこちで右翼街宣車ががなり立てていたのは偶然ではあるまい
いったい靖国がどういう現代的意味における権威でもって
個人的死をまつりあげられるのか
わからないのである
そういったところを考えると
やはり伝統的権威でもって各個人をまとめて追悼しているわけである
この伝統というのがどうも
たやすくねじ伏せられるようである
日本では大衆相手における伝統となると急に差異がなくされていって
たやすく世俗権力者によって総合されてしまうのかもしれない
ところで生をいっしょくたにまとめてしまうのが全体主義なら
死をまとめてしまうのはなんと呼べばいいのだろう