密教は鎮護国家と言ったが・・・

鎮護国家なら奈良仏教という気もするのだ。
しかし密教鎮護国家の性質がないというのも考えにくい。
こう考えるといいかもしれぬ。
鎮護国家を宗教同士が争う。
そうなると、鎮護国家への貢献度という話が出てくる。
その場合、コミュニケーションを遮断した密教というののほうが、
為政者としては用いやすいのかもしれぬ。
阿吽の呼吸で、コミュニケーションせずに結託するのである。
会議で決めると議事録ができてしまう、後に追及されてしまうきっかけになる。
それを避けるには会議をしないことが大事である。
用いやすさから密教が誕生したと言えなくもないのかもしれぬ。
宗教的な抗争や歴史的発展という面のほうが大きいのはもちろんだが、用いやすさという面も忘れてはなるまいか。