巨大な文学者が死んだということ

えーっと思う自分
のけぞってしまうような文学者の死のしらせ
しかし、それでなんでえーっと思うか
死ねばその作家はおわりだと、どこか思っている
日本は死ねば終わりな社会
生きてる時だけの栄華
そういう社会的な態度が、基本的には死んでいる状態で利用される本を書く人であっても、
適用されるのか?
それは傲慢ではないか?
死んだことでワーワー言う事の方がおかしくて、
急な追悼企画や追悼需要や、ではなく、
おのれの日常性の延長で死をとらえ、特別な人の死にまごついていたりすべきではない。
なぜならその作家は残るし、読んでいかねばならないのだ。
死を無視することは冒涜だが、ことさらに騒ぐのもまた軽佻である。
大騒ぎする理由は、大急ぎで消費しきりたいから、である気がするのだ。
人が死んで腰が浮き上がるようではいけない。もっとどっしりしていないといけない。