まれびと

rarity のことなのか
ethnicity のことなのか
レアリティーだとすれば、時間的レアリティなのか、民族的レアリティなのか。
いや、民俗的レアリティか?
文学とはそもそも、レアリティの問題なのか?
エスニシティとは民族的レアリティとも言える。
しかしそれは国家において多数を占める民主主義的多数派による見方である。
エスニシティを帯びた集団は、彼ら自身はそう思っていないだろう。
主体の問題。
ところが、折口著作にもあるように、「まろ」と言った場合に、「まれびと」性を帯びていることを自ら言っている
という貴族がいるのである。
貴族であるということは、民主主義的には少数派なはずである。
彼らは「まれびと」性が高いので、支配層になれたのであると自ら言っているのかもしれぬ。
その「まれびと」性を判断するのは、民主主義下では民主主義的多数派であろう。
封建制においては、多数派少数派とは関係なく、現行する支配層であろう。
ならば封建制において支配層を決めたのは支配層ということになる・・・??