荒神ということ

死んだ牛馬が荒神となって荒ぶるから、それをしずめるための祠がある。
これが古来の日本の風習であったようである。
wikiなどでは、守護の神とされているが、わたしはそうは思わない)
ふだんどおりに家畜を殺生するというための用向きにでさえ荒神の祠は全国各地にあった。
ところが、現在的な問題として、宮崎の口蹄疫で死んだ幾十万もの家畜を祀るものがないのである。
これでいいはずがないのである。
あれらの死をこのまま経過させることができるはずがない。
もしもできるとすれば、それは日本社会が異常な変質を遂げたということに他ならぬだろう。