荒神

荒神というのが、
荒れることの神なのか、
荒れるものの神なのか、
荒れるということに対処するための神なのか、
荒れるものに対処するための神なのか
英語に訳すとなると、brutal god なのか
それともa god of brutality なのか
もしも荒れる、という状態、または形容、に対する神ということになれば、
日本語の八百万の神というのは、顕在化しているものはもちろん、内在的潜在的非可視的なありようについての、強引でハッタリ的な、ありがあふれた様子、を示しているのかもしれぬ。
ならば、実情はありふれてないということが考えられる。
そして、ありふれてないということは、ひとことでいえば、単一、なのだ。
単一というのは、単一であることを意識させないところに本質があるとおもう。
ここにおいて、近代法と照らし合わせると、やはり、個人というものが日本では原理上ありえないということが、考えられ、にもかかわらず、法人などということがあるので、法人がやたら偉そうで、個人が埋没どころか個人の影も見えないのは、さもありなんということなのである。