日本の文語

「確定仕候」というのがあった。
かくていつかまつりそうろう。
かくてい、というのは近現代の発想で、つかまつりそうろう、は近世までの発想だ。
これを口語になおすときに、「確定した」になる。
つかまつりそうろう、は、した、になるけど、確定はそのままだ。
法律関係の漢字熟語を口語にすることはできない。
「決まった」でもおかしいし・・・
「確定」は「確定」
言い換え不能
法律とは、言い換え不能にする力なのか、というギモンが沸いてきた。
各事象それぞれに漢字熟語を与えていって、法律の体系ができるとすれば、
それは日本の法律というより漢字の法律だし、
その漢字が外国語の言葉を翻訳したものにあたるのだとしたら、
法律において日本語本来のすがたはなりをひそめているといってよい。
法律がその外の形として日本語を希求しないのであれば、法治国家である日本が日本を希求しないのも当然ともいえる。
自らを希求しないということを、自棄(やけ)といっていいのか、それとも大人びた客観的態度といえばいいのか。