一騎当千

武士の間では何人力かが問題になる
貴族の間では貴族以外が何人集まろうと一人の貴族にはかなわない
貴族の中では、従三位下が何人集まろうと従三位一人にはかなわないということになるのだと思われる
貴族は外国の貴族を認めなかった
岩倉具視はいたが、それは明治初期の話だ
明治後期から大正昭和期においては貴族外交というのがなかった
日本の近代外交において、つねに平民外交、官僚外交しかなかった
外交の急進的にも思える脱貴族化がどのようにして起こったのか
たしかに、外国の貴族を認めてこなかった貴族が外交から締め出されるのは不思議なことではない
しかしそうだとしても、政府の官僚外交とは別ルートの貴族外交があってもよさそうなものだ
いやそうならなかったのは、天皇外交がないのに貴族外交をやると、もうそれは天皇に弓を引くに等しい行為だからなのかもしれぬ
だが、それでいくと、天皇が何をやっているかわからない状況があったときに、想像しうるあらゆることができなくなる
国家元首が外交に出てこないというのはおかしなことなのだ
日本と似ていると言われるドイツでは、皇帝が外交に関わっていたはずである
日本は、世界史的にもまれにみる官僚強権国家になったのではないだろうか
その強権の主軸は外交だったのではないだろうか
反動で、日本国憲法には国事行為のなかに天皇の外国公使の接受だとかが書かれている
しかしそれは憲法に書かれているからやるんだというくらいのもので、日本の背負う歴史を反映したものとはいえない。
日本の外交においては歴史的すごみを少しは見せたほうがいいように思う。
民間外交というのも、それはすなわち民間交流を越えるくらいのものが、あったほうがいいはずである。
外交をどれほどに限定するか、どこまで広げるか、というのは難しい。
そもそも何が外交かというと、極論すれば、条約締結が外交であり、それ以外はないのかもしれない。